こんにちはkobayです。今回は私が個人的に選んだ、リンゴにまつわるいい曲(おすすめ)を3つ選んできました。オリジナル小話と共にお楽しみください。
りんごの唄 並木路子
もうずっと昔からそうだったように、当たり前にそこにあった戦争が終わった、私の町は所々が焼けたり、建物が壊れたりしているけど、うちはありがたいことに無事だった、父ちゃんも母ちゃんも元気でこの戦争を切り抜けた。戦争に行った兄は無事だろうか、戦地から兵隊さんが引き上げてくることになるらしいが、兄からの連絡がないのでわからない。生きていたらフイリピンにいるはずだけど。何をしているのだろうか。
もし、兄が戦死していたら、父ちゃん、母ちゃんはどうなってしまうだろうか、家では誰も、兄の安否の話をしないが、結果はいずれわかるのだ。そのことを考えると暗澹たる気持ちになる。
通りを歩いていると、歌謡曲が聞こえてきた。しばらく軍歌ばかりだったので、すごく新鮮だ。
ふと、人生は、明日も明後日も、ずっと続くんだと思った。どんなにこの国が落ちぶれてしまっても。
明るい曲だと思ったが、涙が出てきてしまった。
りんごの唄は1945年に公開された歌謡曲で、戦後のヒット曲としては最初期に当たるものだそうです。1945年なので、本当に戦争が終わった直後に流行った曲ですね。この歌の歌詞を見てい感じました。個人的な解釈ですが、リンゴの唄というのは、敗戦によって傷ついた日本と日本人のメタファーではないかと思いました。リンゴを、“日本人・日本・日の丸”と置き換えるとこみ上げてくるものがあります。冒頭を引用します。
赤いリンゴに 口びるよせて
リンゴの唄 作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正 唄:並木路子
だまってみている 青い空
リンゴは何にも いわないけれど
リンゴの気持ちは よくわかる
リンゴ可愛や 可愛やリンゴ
Uta-Netより引用
リンゴ追分 美空ひばり
春休みに祖母の家へ行った。祖母は〇県の山間にある山村で祖父とともに暮らしている。私の住む東京はすっかり春だが、こちらはまだ風が冷たく、少し風が吹いただけで肌寒く感じる。二人は年金と農業で生計を立てており、私が訪ねた今日も、年季の入ったビニールハウスの中で、小さな種苗ポッドに土を入れて、何かの種を植えていた。祖父がじょうろで水を掛けると、濡れた土のにおいが漂ってきて、雪解けの時の土の香りのように、春を感じさせる。
ビニールハウスの中で、こちらも相当酷使されているCDラジカセから、美空ひばりのりんご追分が流れてきた。牧歌的なイントロが、田舎の風景とよく合う。彼女の声を聴きながら、いま、目の前にいる老夫婦が若かったころを想像した。祖母は隣村からここへ嫁いできたそうだ。この山村で生まれ、年老いて、そしておそらくここで人生を終えるだろう二人にとって、人生とはどんな意味付けをされるものなのだろうか。
リンゴ追分は1952年に放送されていたラジオドラマ(ラジオドラマという単語を久しぶりに聞きました)の挿入歌として制作された曲とのことです。このラジオドラマは、青森のリンゴ農園を舞台にしたもので、これを機にリンゴが世間に広く認知されたとかで、歌い手の美空ひばりさんが、青森県から表彰されています。
もしかしたら、私たちがリンゴに親しみを覚えるきっかけを作ったのは、この曲かもしれませんね。
林檎 ハンバートハンバート
ある夏のはじめのころ、彼女がバイトに行ってくると言って部屋を出て行った。僕は彼女の部屋に一人取り残されていた。あのころ、週末はだいたいお互いの部屋を行き来していた。誰もいなくなった彼女の部屋、ベッドの向こう側の窓から夕日が差し込んで、僕の座っている小さな二人掛けのソファーを照らしながら、奥のキッチンを照らしている。
振り返ると、絵に描いたようにきれいな入道雲が空で夕日に照らされていた。僕は財布を手に取ると、近くのスーパーに買い物に出かけた。
ということがあった。ビルの谷間から夕陽に照らされたとき、僕はあの頃を思い出した。
ハンバートハンバートは1998年から活動している夫婦デュオ(結成時は結婚してません)で、この曲は、5枚目のアルバム「道は続く」に収録されている曲です。
参考サイト アクセス日 2023/02/02
Wikipedia – リンゴの唄
Wikipedia – 復員輸送船
Wikipedia – リンゴ追分
Wikipedia – ハンバートハンバート
